はりきゅうふくた 丁寧な治療を心がけてます(鍼灸・福岡・早良区)

   お灸と鍼で病気を治す   

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歴史

お腹を整える。

明智光秀,レビー小体

昔の東洋医学や鍼灸関係の本を読んでいると、必ず「肚を整える…」というような事が書いてあります。

腹?…肚?

簡単に言えば「腹」は常用漢字で「肚」は常用漢字では無い…。ただそれだけの違いなんですが、肚は心の中の事も含んでいて、「色々あるが肚に収めて水に流す…」というような時に「肚」という漢字を使いますし、胃腸の事も「肚」なんですよねぇ~。

先日、友人が「TVでやってたんだけど明智光秀って、レビー小体型の認知症だったっていう仮説があるらしいよ!」と教えてくれて、「へぇ~」って思った事がありました。友人が言うには、信長が家康を招いた時に接待役の光秀が出した、なれ寿司の臭いに、あれだけ気配りに秀でた光秀が気づいてなかったとしたら、レビー小体型認知症特有の臭覚障害があったのでは?という事と、戦勝祈願をした神社で、おみくじを何度も引いた逸話は、視覚の空間認知障害があったのでは?…とか、チマキを包んである笹を外さずに食べた記録に関しては、脳の処理能力の低下なのでは?という話でした。

それと、光秀は本能寺の変を起こす6年前に「風痢」という、今で言うウイルス性の腸炎のような病を患い生死をさまよった事があるらしく、専門医の話だと、レビー小体は腸で形成され、腸から神経を上がって行って脊髄に入って、中枢に至る可能性が高いらしいんですゎ!

色々な状況証拠から推察するに、光秀はレビー小体型の認知症だったのでは?という話なんです。

なるほどなぁ~…

一昨年に義父がレビー小体型の認知症で亡くなったので、アルツハイマー型とレビー小体型の認知症の違いは知ってましたし、確かに…、義父の視覚の空間認知障害や、幻視や、脳の処理能力の低下していた姿を思い出すと、光秀がレビー小体型の認知症という仮説も頷けます。

しかし…レビー小体が腸で形成されている可能性が高いって事は知りませんでしたねぇ~。

昔のお医者さんは、こんな事までは知る術も無かったでしょうに、「肚を整える…」という事を基本に治療していた歴史をみると「凄いなぁ~」って思っちゃいます。

心医

宮廷医官への道,,ホジュン,ユウィテ

まだ開業して1年目の頃…たぶん15年くらい前だと思いますが、同業の大渡先生が「この本、面白いですよ!」と韓国の東医宝鑑を書いたホジュンを題材にした小説を貸してくれたので読んだんですよぉ~。コレがまた…分厚い本で…1ページに小さい字で上段と下段に印刷されてる本でした。

最初は本の厚さと文字の小ささにビビっていたんですが、読んでいくうちにハマっていって、結構、楽しく読んだのを覚えています。

読んで数年してから『ホジュン~宮廷医官への道』というドラマがTV放送されて、それも見てたんです。今、またリメイクされて『ホジュン~伝説の心医~』というドラマが放送されてるみたいですね!…リメイク版は見てないけど、昔のは何回も見た覚えがあります。

実は、先日テレビのチャンネルを何気なくザッピングしていたら、昔のホジュンが放送されていて、僕が一番好きなシーンだったんですよねぇ~。

師匠のユ・ウィテが心医とはどういう医者かという事を息子に説明するシーン…

「神・声・工・巧 は経験をつめば誰でも到達できるが、それを順に成したとしても患者の痛みを共に感じる心がないなら、ありふれた医者だ…。医療は技術ではない。患者を思う心…、心医になれぬようなら医者とはいえない。」

というセリフ。

それと、弟子のホジュンにユ・ウィテが末期の胃ガンのの患者を託すシーンで…

世の中には医者が治せない病の方が多い。苦悩と挫折を経験すれば何か感じるだろう。医者は病に怖れを持ってもいけないが、安易にすべて治せると傲慢になってもダメだ…。

…と語るセリフ。

僕は医者ではなく鍼灸師ですが、このユ・ウィテのセリフは、病を治す者の心得…、とでもいいますか…。好きなんですよ…このセリフ。いつも心の片隅に留め置いている言葉なんです。

唐宗海さん

唐宗海,血証論

「毎日、掃除をキッチリしているのであれば、別に年末に大掃除しなくてイイはず…。」…と、心の中で呟きながら、暇を見つけては大掃除っぽい事をしているフリをしているんですが、またまた過去に講義した時のネタ帳というか…走り書きのメモが出てきたので、ついつい読んでしまうと「結構、面白い事を話してるなぁ~!」と自画自賛モードに突入!(笑)

このぶんだと大掃除など出来そうもありませんので、またまた備忘録的にブログに綴ってみたいと思いまする。(読む時のBGMは中島みゆきの♪時代♪でお願いします…(苦笑))

前々回にブログで書いた『瘀血ってなに?』の続編として、その翌年の2014年に講義したのが『続・瘀血って何?』。前回は近現代の先人達が瘀血をどう捉えていたかを紹介して終わったんですが、この続編は臨床に即したお話しをしたんですよね。まずは瘀血反応が出やすい場所の説明して、血虚と瘀血と血滞の違いについて説明し、唐宗海さん(1846—1897)の『血証論』をベースに瘀血を解説してますなぁ~。

唐宗海さんは清代末期のお医者さんなんですが、陰陽気血水の考え方に “火” の概念を加えた人なんですよねぇ~!清代末期の時代背景もメモしてあるけど、多分、この時代背景の蘊蓄は真柳誠先生のHPがネタもとだな…。

この講義をしたあと、研究会のスタッフからはマニアック過ぎると不評だったけど、今、目を通してみると、2年前のものではあるけど我ながら結構面白いと思うんだよねぇ~…(…と、またまた自画自賛モードに突入!(笑))まぁ~、もう日の目をみない講義録かも知れないけど、この時に調べた事柄や理屈は今の僕の臨床に確実に役立ってますねぇ~。…と三度、自画自賛モード…(苦笑)

BGM………あんな時代もあったねと~♪……めぐる~めぐるよ~時代はめぐる~♪

秋を感じつつの~~真柳先生講演会

真柳誠

気温が35℃とかあった頃は「今年は残暑が厳しくなる…」って気象予報士の人が言っていたし、先日まで30℃を超える猛暑日で、日中はエアコンを使っていたのに、この2~3日…急激に気温が下がってきましたね!何だかんだ言いながら、しっかり秋になってるじゃん!10月もそろそろ中盤に入ろうとしているし、学生時代…11月の初旬にはダウンを着て学祭の露店やステージの機材運びをしていた記憶がありますもんね!もうかれこれ30年以上前の話ですけど…。

そんな中、先日の日曜日に日本鍼灸師会の全国大会が福岡で行われていて、大会そのもには参加はしなかったんですが、県民公開講座も併催されていて、無料で講演が聴けるとのこと…。「古代中国における鍼灸・経穴・経絡の開発と概念の変遷史」というタイトルで真柳誠さんが講演されるので、こりゃぁ~聞きに行かないてはない!僕は真柳先生との面識はないんですが、鍼灸のマニアックな事をPCで検索すると必ずと言っていいほど真柳先生のHPに辿り着んですよねぇ~。個人的に勝手にお世話になっております…(苦笑)

今回の話は『黄帝医籍研究』の中の第六章「明堂」について1時間半ほど話をされてました。『黄帝医籍研究』って国から補助金が出てるから¥6480っていう値段なんですって!2年前にこの本を買った時、内容の深さからすると安いなぁ~って思ったんですよねぇ~!…なるほど!そういう事だったのかぁ…。

なるほどなぁ~!

maca

ちょいと鍼灸関係で調べ物をしようと何冊か本を斜め読みしていたら『なぜ運動器疾患以外の鍼灸治療が軽視されてきたのか』というお題目に目が止まり、読んで見るとオモロイ!
何となくは感じ取ってた事ではあるんですが、明確に文章にされていると分かりやすい!なるほど!なるほど!

戦後、日本人の健康観の変化かぁ~!「…昔だったら適当に我慢してツバでも付けときゃ治るって言われていたものも、今はその痛みを何とか軽くしたい!と思うようになり、また薬や湿布を入手しやすい環境が整っているので、湿布や薬を飲みながら生活するのが当たり前になってきてる」…なるほどねぇ~!今までは治療対象とされていなかった痛みも、現代人は放ってはおけなくなり、治療を求める人が増えていったらしいんです。戦後のある時期までは病気とみなされるほどではない肩コリや腰痛などは西洋医学の病院では相手にされていなかったらしいんですね。(当時、西洋医学は「生き死に」に関係しているものを相手にする医学とされていたようです)なので西洋医学が積極的に取り組もうとしなかった疾患の多くを鍼灸が担うようになってきたらしんですわ!

あと面白かったのが『戦後の鍼灸科学化の追及』という項目。戦後、科学的ではないという理由から鍼灸がGHQによって廃止されようとした事が大きなキッカケになって鍼灸の科学化を追及する人達が増えたという事は知っていたけど、1910年代に日本の制度を持ち込まれた韓国でも1945年以降にはGHQによって鍼灸・按摩が廃止されようとした事実があるらしく、やはり占領軍は日本を支えた文化的・経済的基盤を一掃したかったという事も考えられるので「非科学的」という表向きな理由を前面に押し出したと思われる…との事。これに関しては以前、読んだ本で『WGIP』の本を読んだ事があるので「さもありなん!」って感じです。

まぁ~科学的なのも大事だけど、もっと大事なものも沢山あるはずなんだよなぁ~!

Yahooニュースで…

梅毒,江戸時代,現代

Yahooのニュースを見ていたら『梅毒患者が2千人超え 99年以降初、若い女性に増加』という記事に目が止まりました。何でも10月28日時点で患者数は2037人らしく1999年以降で初めて2000人を越えたとか…。

僕が梅毒という言葉を知ったのはいつの頃からでしょうか?何となく小学生の頃には、鼻が取れるとか…死んじゃうとか…、時代劇なのか?本からの情報なのか?何かしらかの情報で知ってたような気がしますが、戦前に比べて患者数は減ってきていると思ってました。

この仕事をやり始めて、江戸時代の医学書を見るようになり、その頃の話を色々な人から聞くと、どうも江戸時代は医者にかかる80%?くらいの患者さんが梅毒の患者さんだったらしいという話を聞いたことがあります。現在では梅毒はスピロヘーターという細菌が原因で濃厚接触で感染するという事は分かってますが、江戸時代はそこまで分かってなかったでしょうから、爆発的に患者さんが多かったんでしょうね。

以前、仁~JIN~という現代のお医者さんが江戸時代にタイムスリップしてしまうドラマがありましたが、あのドラマでも遊郭で梅毒を患う事を「鳥屋(とや)につく…」って言って、遊女の人達は、鳥屋につくことが日常だった事が紹介されてましたっけね…。

でも現時点で増えてきていると言うことは、梅毒は既に過去の病で気にする必要がないという感じで、梅毒に関しての事を教えられていない人達が無防備な感じで感染してしまっている……という事なんでしょう。やっぱり教える事というか…伝えていく事は伝えていかなければ…ですね。

 

先人が何を求めたのか…

医療,古典

今、読んでる本の冒頭に「常に古典を読み、先人の知恵を学び、現今の臨床に生かしなさい。先人の跡をなぞるのではなく、先人が何を求めたか、先人のモチベーションを会得し勉学に励め。」という言葉が書いてあった。

はりきゅうふくた のホームページの表紙に「先人の知恵を活かす治療…それが鍼灸治療です。」という言葉を載せているのだけれども、先人の知恵を活かすだけでは、まだまだハナタレ小僧の領域だという事なんだろうなぁ~。

そうか…先人の跡をなぞるのではなく、先人が何をやりたかったを求めて、先人のモチベーションに近づき、その先に進むのが古典の楽しさなんだろうな!

良い言葉をもらったような気がします。

おっ!またメモが…

yunker001 黄帝内経

ふと気になったんですが、ユンケル黄帝液の「黄帝」って、あの黄帝内経の黄帝さんから名前を拝借してるのかな?

またまた机を整理してしていたらメモが出てきました。例によってどの本からの抜粋なのかは書かれてませんので出典は定かではないのですが多分、内容からして黄帝内経について書かれていた本を読んでメモをしたものと思われます。

という事で、またまたここからは…備忘録…。

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・漢書「藝文志(げいもんし)」では黄帝内経は医書の分類とされている。
・黄帝内経は断片的な随筆のようなもの。
・黄帝内経は体系的な書物「○○論」的な書物ではない。
・黄帝と銘打っているのに黄帝さんは聞き役で岐伯さんの方が偉い感じ…。
・宗教的な書物(聖書)だと、例えて言えばキリスト教だとキリストさんがNo.1なのでキリストさんから教えを請う感じなのに黄帝内経は違う。
・写本される度に改ざんされ続けた本。
・甲乙経(皇甫謐):素問、霊枢、明堂(経穴辞典)の三書をわかりやすいようにまとめたもの。明堂の太素:京都の仁和寺に第一巻が残っている。
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何でメモったのか…忘れてしまった(苦笑)

『針灸の歴史』

針灸の歴史~悠久の東洋医術~

つい先日「そうだ!以前読んだ本を読みなおしてみよう!」と思い立ち、ペラペラと数ページめくり読んでたんですが…。新刊本と出会ってしまいました。『針灸の歴史~悠久の東洋医術~』という本。
10年くらい前に、この本と同じ出版社から『漢方の歴史~中国・日本の伝統医学~』という本が出てまして…、確か京都で和方の伝統医学史セミナーっていうのがあって、そこで小曽戸先生の講演を聞いて『漢方の歴史』っていう本を買ったように記憶してるんですが、こんな感じで鍼灸の歴史をまとめた本があってもいいのになぁ~って思っていたんです。
今回は針灸の歴史についてコンパクトに網羅されてるみたいですし、まずは針灸の歴史を確認する意味でも目を通そうと思いまする。

思い出

tenpo

先日、治療院の前でgoogleのストリートビューの車を目撃したので、治療院の前の道がストリートビューで見れるかな?と思い、見て見るも、まだ更新されてないみたいでした。そう言えば、以前、治療院をやっていた薬院の辺りはどうなってるのかな?と思い、見てみると昔の治療院が映像で残ってました。懐かしい~~!お金をかけずに、壁に付ける看板も友人に手伝ってもらって作ったり…(ほとんど上野さんが作ってくれたんですけどね!…(笑))ホームセンターで板を買って来て本棚やカウンターを作ったり、カッティングシートを切って立て看板を作ったり…と、手作り感満載な治療院でした。コレと言って写真を残してなかったので、このストリートビューの映像は貴重な思い出の1つです。