はりきゅうふくた 丁寧な治療を心がけてます(鍼灸・福岡・早良区)

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11月

Yahooニュースで…

梅毒,江戸時代,現代

Yahooのニュースを見ていたら『梅毒患者が2千人超え 99年以降初、若い女性に増加』という記事に目が止まりました。何でも10月28日時点で患者数は2037人らしく1999年以降で初めて2000人を越えたとか…。

僕が梅毒という言葉を知ったのはいつの頃からでしょうか?何となく小学生の頃には、鼻が取れるとか…死んじゃうとか…、時代劇なのか?本からの情報なのか?何かしらかの情報で知ってたような気がしますが、戦前に比べて患者数は減ってきていると思ってました。

この仕事をやり始めて、江戸時代の医学書を見るようになり、その頃の話を色々な人から聞くと、どうも江戸時代は医者にかかる80%?くらいの患者さんが梅毒の患者さんだったらしいという話を聞いたことがあります。現在では梅毒はスピロヘーターという細菌が原因で濃厚接触で感染するという事は分かってますが、江戸時代はそこまで分かってなかったでしょうから、爆発的に患者さんが多かったんでしょうね。

以前、仁~JIN~という現代のお医者さんが江戸時代にタイムスリップしてしまうドラマがありましたが、あのドラマでも遊郭で梅毒を患う事を「鳥屋(とや)につく…」って言って、遊女の人達は、鳥屋につくことが日常だった事が紹介されてましたっけね…。

でも現時点で増えてきていると言うことは、梅毒は既に過去の病で気にする必要がないという感じで、梅毒に関しての事を教えられていない人達が無防備な感じで感染してしまっている……という事なんでしょう。やっぱり教える事というか…伝えていく事は伝えていかなければ…ですね。

 

ちょっと…欲張り?

鍼灸,体調不良,オーバーワーク,福岡

以前、ブログで紹介した『正しい医療のための10か条』というツイート…
この最後の項目にある「不調な時は何をするかよりも、何かをやめる方がうまくいくと知ること」という言葉。
これって程度の問題はあるでしょうが、的を得ていると思います。

基本的な考えとして、自分の身体は自分が管理するものだという事…、身体の不調は薬や鍼灸が治すのではなく身体自身が治しているという事を理解した上でのお話しですが……

まぁ~基本的に生まれ持っての体質や、生まれつき体力がある?ない?など、人それぞれ環境や持ち合わせたモノの違いはありますが、やっぱり不調になる原因は身体に無理をさせているからだという事が大前提だと思うんですよねぇ~。無理=オーバーワーク……という事は、やってる事を何か1つやめると、身体の負担が1つ減る。……という事は身体の不調が軽減する。簡単な引き算だと思います。

けれども多くの人達は、「私はそんなに色々やっていない…」とか「今やってる事をやめるわけにはいかないので、何もやめること無く治したい…」と、身体の不調を無視した自分の都合のいい言い訳?とでも言いますか…… まぁ~欲張りさんなんでしょうねぇ~。何事にも許容範囲というモノがある訳ですから、溜め込んでたら、そりゃぁ~どこか不具合は起こりますわね!

「不調な時は何をするかよりも、何かをやめる方がうまくいくと知ること」これは心にとどめておいてイイ言葉だと思います。でも、万が一、不調より1ランク上の病気という段階にレベルアップしてしまった場合は、薬や鍼灸のサポートで病気を治す。これが本来のあるべき姿じゃないんでしょうかねぇ~。

型破りと形無しについて考える

型破り,型無し

武道とかスポーツ…、絵画とか…、書道とか…、○○道って「道」が付くものには「型」というものが存在して…。いやいや、それ以外にも型は多く存在しますよね。まぁ~鍼灸も流派みたいなものがあるような…無いような感じですが、多分、その流派というモノに属している人達からすると「型」というモノはある。…という事になるんでしょう。なので徒弟制度的な感じで、弟子となり師匠の型を身につける為、日夜修行?されてる方も多いと思います。

以前、何かの本に書いてあった話で、中村勘三郎さんが、無着成恭さんの子供電話相談室を聞いてたら「型のある人が型を破ると “型破り” となり、型のない人が破ると “形無し” になる」という話を聞いて「なるほど!」と思ったエピソードを紹介されてたんですが、僕が思うに、確かに伝統を受け継ぐ芸事など、その伝統を守る使命を背負って生まれてきた方にとっては、「なるほど」と思えると思うんですが、僕の考え方はちょっと違っていて…、

型を守るべき家に生まれた方や、型を守る使命を背負っていらっしゃる方は、型を守ればいいでしょうし、その型を極めた時点で型を破り、新たな型を生み出せばいいと思うんですよね!でも、そうじゃない人も世の中には大勢いる訳で…、そうじゃない人達は型に囚われない考え方で物事を捉えていいのではないか?…と思うんですよねぇ~!

僕の中に「人のマネをしても、その人にはなれない…」という基本的な考えがあるから、素直に型を守るという分野に足を踏み入れられないんでしょうねぇ~~。…やっぱり僕って天邪鬼かな?(笑)

知者不言、言者不知

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知者不言、言者不知 ……「知る者は言わず 言う者は知らず」

「物事を深くよく理解している人は、そのことを軽々しく口に出さないが、 よくしゃべる人は、本当のことをよく分かっていないためである」とか「知恵のある者は言葉が少なく、言葉の多いものは知恵が少ない。」という意味らしく、老子56章に書いてある言葉らしいんですが… お喋りするのも好きだし話を聞くのも好きな僕としては耳が痛い言葉ですねぇ~(苦笑)

僕が思うに「知る者は言わず」と言う事に関しては、「言っても分からないだろうし理解してもらえないだろう…」という意識が働いてるのではないでしょうか? 間違った形で理解されても困るので、軽々しく口にしないと言う事なのかもね…。

1人の人が物事に対して真剣に取り組める時間って、人それぞれだと思いますが紆余曲折ある人で20年~30年。この道一筋と…長い人で50年~60年くらいでしょうか…。取り組める時間が長ければ良いという訳ではありませんが、何となく歴史の流れの中でこの年数を見ると、人が何かを成しえる時間というものは、とても短い時間のように思えます。

最近、何となく思うんですが…

東洋医学・鍼灸・西洋医学…。それぞれ色々な知識が必要です。
僕は鍼灸師なので勿論、鍼灸の事柄+東洋医学の知識、それと浅い知識ではありますが、ある程度の西洋医学の知識が治療上必要となります。西洋医学と一言で言っても、内科もあれば外科もある。婦人科もあれば耳鼻科もある。専門領域は数限りなくある訳ですし、全てを深く勉強しているわけではないので専門医の先生方からすれば「薄っぺらい知識で専門領域を語るな」…となると思うんですよね。でもそこは東洋医学という思考で物事を捉えていくので、ある程度は網羅できるんですが、鍼灸師の中でも色々な方々がいらっしゃって、西洋医学の専門医の領域を勉強して、その知識を何とか治療に反映させ治療効果を上げようと努力されている人達もいらっしゃいます。しかしながら基本的に僕らは鍼灸師なので、最終的には鍼と灸で治す事になるわけで…、西洋医学の専門知識をいかに鍼灸の技術に置き換えて効果をだすかを詳しく語られてる人って少ないと思うんですよね。
されていたとしても、この症状にはこのツボ…。的な事のみで、誰もが同じ事を再現するには、ちと不十分な情報ばかり。

僕が想像するに、鍼灸の臨床家はこの「西洋医学の専門知識を鍼灸の技術に置き換える」という事を臨床現場で実践されている方は多いと思うんですが、いかんせんそういう方は「知者不言、言者不知」的な方が多い。論文を発表するのが得意な人、そうでない人。人に伝えるのが得意な人、そうでない人。いろいろなタイプの方がいて良いとは思うんですが、そうなると技術の伝承という事は難しい。

でも、人が真剣に物事に取り組めるのは20年から、長い人で50年。歴史の中の過ぎゆく時間から考えると短い時間ですし、生命が色々なパターンで進化するが如く、人から教わる事を第一義とせずに、自分で考えるという姿勢とでも言いますか…自ら思考して実行する。そういう方向にシフトしていくべきなのかな?と思う今日この頃です。自分の進む道が間違っていたら時代の流れから淘汰されるはずですしね!結果は後からついてくるとも言いますし…!「寄らば大樹の陰」という言葉もありますが、いつまでも「親方日の丸」じゃぁ~なんも面白くないし、僕の性に合わないんですよ!(笑)

医療への過信

医療への過信

電化製品なんかも10年使ってたら不具合が出たりしますよね…。(ちなみにウチの洗濯機は22年目の古株ですが、時々、予定時刻より早く洗濯が終わったり、柔軟剤が出ない事があります。)車にしても10年…20年乗っていると排気量も落ちてくるわけで…。
人間の身体もまたしかりで… 歳を重ねれば色々と不具合は起こるものなんですよねぇ~。

時間が経過(病気やケガ)すれば100%の機能が低下してしまうモノだという、ごく当たり前な自然な理屈…、
頭ではわかっていても…

いつも出来ていた事が出来ない⇒痛い・不安になる⇒なかなか治らない⇒色んな医療機関を渡り歩く⇒薬を大量に処方される⇒薬を飲んでるから治るだろうと、ひととき安心する⇒100%の機能が回復しない場合、不安になる⇒治らない⇒色んな医療機関を渡り歩く…

……と、こんな感じでループを繰り返す人って多いように思うんですよねぇ~。
最近、患者さんと話をしていて思ったんですが、何故こうなるのか?
これって「医療への過信」が原因なんじゃないでしょうかね?
科学の発達!医療の発展!をメディアが流布した結果、病気をしても手術をすれば…薬を飲めば…「治っちゃう!」という過信が医療費増大という結果に繋がっているように思えます。

やはり身体のあるべき姿を受け入れ、日々自分で手入れをする。
鍼灸は日々の手入れのお手伝いにはもってこいの医療なんですけどねぇ~。

捨てる神あれば…

捨てる神あれば拾う神あり,鍼灸,自己治癒力

「捨てる神あれば拾う神あり」
嫌な事があっても、いずれ良い事あるさ……、そんな感じで使われる言葉だと思います。
確かに良い事があれば、なんとなくスキが出るのか…悪い事があったりしますし、嫌な事が事があったら、そのあとに良い事があったりするものですしね!

一神教の人からすると論外な話なのかもしれませんが…(ここは八百万の神々の国なので…)“ 捨てる神 ” と “ 拾う神 ” がいるとするならば、“ 放っておく神 ” もいるような気がするんですよね。捨てる神が捨てた後、拾う神が拾ってくれる間に「放っておく神様」が傍でジ~ッと見守ってくれる。

先日、患者さんと治療中に話をしていて、病気が治る過程で痛めた部分を治す間の期間をどう説明しようかと考えたんですが…

病気を患った瞬間が捨てる神に捨てられた時で、治る感覚を感じた時が拾う神に拾われた時。じゃぁ~、治療に専念している時は?
楽器でいうと一生懸命練習してる期間なんでしょうねぇ~。楽器に限らずスポーツにしても芸事にしても、やりたいと思ってもすぐに出来る訳はなく練習が必要ですしね!練習する期間が短く、いきなり結果を求められても「そりゃぁ~無理な話ですよ!」って事になる。

病気を治すのも同じで、早く治りたいって気持ちは分かりますが、必ず身体は病気や痛めた所を治そうとしていますから、そこにいきなり結果を求められても、身体的は「そりゃぁ~無理な話ですよ!」って事になると思うんですよねぇ~。放っておく神様じゃないですが、傍でジ~ッと見守る気持ちも必要だと思います。

先人が何を求めたのか…

医療,古典

今、読んでる本の冒頭に「常に古典を読み、先人の知恵を学び、現今の臨床に生かしなさい。先人の跡をなぞるのではなく、先人が何を求めたか、先人のモチベーションを会得し勉学に励め。」という言葉が書いてあった。

はりきゅうふくた のホームページの表紙に「先人の知恵を活かす治療…それが鍼灸治療です。」という言葉を載せているのだけれども、先人の知恵を活かすだけでは、まだまだハナタレ小僧の領域だという事なんだろうなぁ~。

そうか…先人の跡をなぞるのではなく、先人が何をやりたかったを求めて、先人のモチベーションに近づき、その先に進むのが古典の楽しさなんだろうな!

良い言葉をもらったような気がします。