はりきゅうふくた 丁寧な治療を心がけてます(鍼灸・福岡・早良区)

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05月

気持ちと、痛みと、老化と、鍼灸治療について…曰う

痛み,老い

気持ちと体…。

「あなたは気持ちが若いからぁ~!」…なんて、ちょっとお世辞がてら言ってる人を見かけたりします。

世代によって違うとは思いますが、大よその人は気持ちの方が実年齢より10歳…もしくは15歳くらい若いんじゃないでしょうか?(働き盛りの人が「若い者には負けられん!」…なんて言ってるのをよく耳にします。)

40歳~50歳くらいの頃に「あれ?気分的にはまだ若いつもりなのに…体がついていかないな…」…と感じるようになり、「そろそろ生活を変えないといけないなぁ~」って思うようになる。

60歳~70歳くらいになると、リアルに”老化”を体感し始めるので、老いや痛みと闘わなければいけなくなり、気持ちを若く持つ事よりも、今の自分の体の状態を把握して、いかにやり過ごすかが課題になっていきますが、どうしても若かった頃の体調を基準として、老いた自分の体調を比較してしまうものだから、「痛みなどを感じることなく…、また、体の不調を訴える事もなく過ごしたい。…できれば、お手軽に…。」…と思うようになる。

「痛みなどを感じることなく…、体の不調を訴える事もなく過ごしたい。」っていうのは誰しも願う事でしょうし、生活する上ではとても大事な事なんですが、曲者なのが「…できれば、お手軽に…。(苦笑)」という考え方なんですよねぇ~。

お手軽に痛みや体調不良を無くそうとする選択肢として一番最初に頭に浮かぶのが『薬』じゃないでしょうか?…確かに現代医学の薬は切れ味鋭い感じで効きが良いものも多いので、薬によって痛みや体調不良からオサラバ出来る事もありますが、薬は切れ味がいいぶん諸刃の剣的な要素も持ち合わせているので、老化や体調不良の度合いが高まって、今まで効いてた薬が効かなくなると、もっと効く薬(強い薬)…を必要とするようになるんですが、その場合、強い薬になればなるほど副作用の危険も高まってくると言う事は周知のことです。

何を言いたいかと言うと、…「ある程度のところで、手打ちをしておさめる。」という事も必要だと思うんです。

「歳をとるという事は痛いという事なんだ。」「歳をとるという事は体調不良を起こしやすいという事なんだ。」という事を前提に、痛みはゼロにはならないけれど、100%だった痛みが20%まで下がった事で良しとしよう。残り20%の痛みは不安要素だけれども、痛みがゼロになると、また体に無理を強いる事になるから、20%の不安要素をリミッターとして扱う事で、体の健康状態を維持するように心がける。…これって重要なポイントだと思うんです。

鍼灸治療は体が持ち合わせている免疫力や自己治癒力を引き上げるというか…、体のポテンシャルをサポートする治療法なので、それぞれ個々の患者さんの体に合った治療法を選択して痛みを取っていきますが、100%だった痛みが20%まで下がった段階で、無理矢理、残りの痛みを取ることせずに、自然に治っていくのを見守ったりします。最終的には鍼とか灸じゃなくて『体が治す』機会を与えるとでも言いますか…「そこから先は患者さん自身の努力で治して下さい…。」って感じです。数回の鍼灸治療が功を奏して体調が良くなると自然と残りの20%は治ったりするものですが、老化が進んだり、若くても体に無理を強いてる人だと、この残り20%の痛みがなかなか取れないモノなんですよねぇ~。

近頃は高齢化社会に伴い「元気な老人」…「元気で長生き」…という感じの言葉がメディアに出回り、テレビのCMなどでは、いかにも痛みや体調不良をゼロにしてしまうかのような薬の宣伝が多いので、「全てをリセット出来る…。…痛みは取り除けるもの…」と思い込んでいる人が増えているように感じるんですが、どうあがいても、本当の意味での老化を止める事は出来ませんし、”老化” と ”痛み” は一対(ニコイチ…とでも言いますか…)なので、齢を重ねれば重ねるほど痛みだけを取り除くことは出来なくなるものなんです。

そこを踏まえた上で日常生活を過ごしていないと、あの病院に行っても治らない…この鍼灸院に行っても治らない…。…と、残り20%の痛みをゼロにするために、西へ東へ治療院や病院を駆けずり回り、医療への失望感と疲労で、また痛みがぶり返し、体調を崩してしまってる方に時々ですが、お目にかかる事があります。

以前は今のように核家族状態ではなく、3世代の大家族で生活してましたから、子供の頃から老いることを家の中で目の当たりにしていたので、こういう事は考えなくてもよかったのかも知れませんが、現代では「歳を取ると言う事はどういう事か?…。人が老いると言う事はどういうことなのか?」…という事を40歳後半くらいから少しずつ考え始めて、60歳以降に本当の老化に直面した時の心構えをしっかり構築しておく必要があるんじゃないでしょうかねぇ~。

チャレンジする姿勢

挑戦

やろうともせずに「出来ない」と言う人達がいます…。

すぐに出来るなんて、だれも期待してないし、出来なかった事が出来るようになる喜びや楽しみってあると思うんですが、やろうともせずに「出来ない」と言う。…これって出来ないんじゃなくて「やりたくない…」という気持ちの表れだと僕は思うんです。

じゃあ~なんで「やりたくない…」のかと言うと、多分、「失敗を恐れているから」だと思うんですよ。
失敗したくない…。失敗してブザマな自分を見たくないし、人にブザマな姿を見せたくも無い…。
だから失敗しないような無難な選択肢を選ぶし、出来ないと思ったら手を出さずにやり過ごすか、…もしくは周りの人達を「出来ない」という一点張りの意見で自分のペースに巻き込んで、全てを無難なものに仕上げてしまう。この場合、確実に個性がないモノが出来上がります。

…それも、個人的な生き方としてはアリなんだろうとは思うんですが…。

こと…、何かを集団で作り上げようとする時とか、みんなで何かを一緒にやろうとする時に、失敗を恐れている人とタッグを組んでも、良いものは生まれないと、僕は思うんですよね!

「本気の失敗には価値がある…」って言ってたのは漫画 『宇宙兄弟』 のムッタでしたが、要は本気か?本気じゃないか?…物事への取り組む姿勢が問題になるわけで…、現時点で出来るか?出来ないか?…ではなくて、本気で取り組んでいるのか?適当に取り組んでるのか?…そこがポイントなんじゃないかな?

まぁ~何に於いても「出来ない」と言う前に、まずはブザマだろうが何だろうが…、「チャレンジする姿勢」って大事だと思うんですよねぇ~。

『分肉』

九鍼

めっちゃマニアックなブログになってしまいましたが…お許しを…(苦笑)

最近、治療していて「おや?」というか…「この方法って効きがいいかも…」と思う事があるんです。

キーワードは…『分肉』

同じような症状の患者さんが続いたのがキッカケなんですが、その症状に対して筋肉と筋肉の間を狙って刺鍼する事が多く、あとで患者さんに効果を聞いたら、今までより治療効果がイイ感じなんですよねぇ~。

筋肉と筋肉の間…、ん?…これって「分肉」?…なんとなく、この「分肉」というワードが頭に浮かんで…「そう言えば4~5年前くらいに東京での九鍼の勉強会に行ってた時に、石原先生が分肉の話をされてたなぁ~」と、本棚から『九鍼実技解説』を引っ張り出して、もう一度、読みなおしてみると圓鍼のページに「霊枢 官鍼第七 病在分肉間、取以圓鍼于病所」と書いてありました。僕の場合は圓鍼じゃなくて毫鍼で横刺してるんだけど、これもまた応用編としてありなんでしょうねぇ~。

本によると分肉にも2通りの解釈があり「筋肉と筋肉の間」という意味と「皮膚からの深度空間」という意味があるらしいんですが、今の僕の使い方としては「筋肉と筋肉の間」という解釈なんだけど、皮内針を使う時や横刺で刺鍼する場合は「皮膚からの深度空間」としての分肉なわけで、両方の解釈を治療に活かしてるって事ですよね!

また一つ治療の幅が広がった感じです。

ツボに対して神秘性を求めない方がいいと思うんです。

ツボ,穴性,鍼灸

「あたたたたーーーっ!!経絡秘孔の一つを突いた!お前はすでに死んでいる…。」

漫画 『北斗の拳』 で 「経絡秘孔」 という言葉がよく使われていましたが、この漫画の影響なのか?はたまた…必殺仕掛人で藤枝梅安が裏の仕事で鍼を使っていたからか? ツボ…経穴に対して過剰な神秘性を求める…、もしくは神秘性を謳う文言を見たり聞いたりする事があるんですが、僕自身の考えとしてはツボに対して、あまり過剰な神秘性を求めない方がいいと思うんですよねぇ~。

ツボに対して神秘性が全く無いというわけではないんですよ。「なんで、そのツボで、これが治るの?」っていうような神秘的な性質のツボ(配穴)も、あるにはあるんです。神秘的と感じるツボ(配穴)の選択は、経絡の関係だったりとか、子午流注だったりとか、表裏だったり陰陽だったり、…〇〇の奥義…とかね(…奥義って名前が付くと、北斗の拳っぽくなっちゃいますね…(笑))。色々と独特な理論や理屈でツボ(配穴)が選ばれてるわけですが、なかなか神秘性を感じれるようなツボ(配穴)を上手に使える人って、そんなに多くないと思います。

基本的にツボの名前というものは場所を説明するためのワードだと思うんです。行き先の説明で「2つめの信号を右に曲がって3つめの電信柱の左側にあるタバコ屋さんの細い路地を右に入って…」というような長ったらしい説明をしなくていいように「足三里の辺り…」ってな感じで、知ってる人は知っている的な…鍼灸師や治療者同士の共通言語のようなものだと思うんです。

学生時代、ツボの名前を覚える時に「外果の上7寸…」など…、ツボの位置を示す文言を覚えさせられましたが、7寸といっても子供もいれば大人もいる…男女差・体格差があるので数字も正確なモノでは無いわけなんです。教科書には、その数字の曖昧さをカバーするために骨度法だったり、患者さんの指のサイズで長さを特定する同身寸っていう方法を覚えたりするんですが、ココから何センチ何ミリの位置にツボがあるというような正確な位置を示すものではないわけですよね!

ツボの位置は、人が歳を取って老いたり、体が弱ったりした時に、共通して現れる反応点をツボと呼んでると思うので、まずは穴性とかツボの名前を覚える前に、人が老いた場合や体が弱った場合に、どこにどういう反応が現れやすいものなのか?という事を勉強した上で、その反応が現れやすい場所には、どの経絡のどのツボが多く混在しているか?…という事を学んだ方が臨床に使える知識として役立つと思うんですよねぇ~。

下手にツボの性質…穴性とかを最初に覚えちゃうと、魔法使いにでもなった気分になっちゃって、ツボの神秘性ばかり求めるようになっちゃうんじゃないかな?

40歳にして或さず。

武田鉄矢,孔子

Youtubeを物色してたら、武田鉄矢さんのラジオ番組がアップされていて、オモシロそうなので聴いてみたんですが、孔子の論語で「四十歳にして惑わず」っていう言葉が残ってるけど、ど~も孔子が生きていた時代には「心」という漢字は存在していなかったらしく、「…惑わず」じゃなくて「…或さず」だったんじゃないかろうか?…っていう説を話されていました。

なんか、漢字って普遍的なイメージをもっていたんですが、よく考えて見れば漢字にも流行廃りはあるだろうし、論語も伝承されて編纂されている間に、書き換えられていたり、付け加えられているものもあって当然と言えば当然ですわなぁ~。(鍼灸や東洋医学の古典も、その辺を加味して読まないとダメなんでしょうねぇ~)

「四十歳にして惑わず」…となると、40歳になったのなら戸惑い、心が混乱する事なく、邁進する感じですが、自分自身の40代の頃を振り返ってみても戸惑ってばかりでしたし、まったくもって孔子さんの言ってる事とは真逆の歳の取り方をしているなぁ~って思うんですが、「…或さず」なら話は変わってきます。

「四十歳にして或さず」…40歳にしてあ~だ、こ~だと、物事を決めつけない。という事であるならば、孔子さんの言ってる事を、僕は実行できているかな…と思う次第です。でも、…もう53歳だから本当ならば天命を知ってないといけないんでしょうが…まだ「或さず」の所で止まってますね…(苦笑)

そう言えば…

 

井上尭之

先週、井上尭之さんが亡くなられましたよね…。
僕はスパイダース世代ではないんですが、”太陽にほえろ” や ”傷だらけの天使” の曲で井上さんの名前は知ってました。
僕が19歳の頃かな…友達の原君の下宿に遊びに行ったら本棚に井上尭之さんの『ミュージシャンをめざすキミへ―ぼくが語ろう』っていう本があって、借りて読んだ事があるんですが、今でも覚えている内容としては…

「ミュージシャンになりたい!」なんて親に言おうものなら、必ず「やめときなさい!もっとちゃんとした仕事につきなさい!」と言われるだろうが、仮にちゃんとした会社に入ってサラリーマンとして働いたとしても、その会社が倒産してしまう可能性が無いとも言えない。ミュージシャンだって腕の善し悪しで稼ぎが変わるわけなので、一般的にちゃんとした会社に就職しようが、ミュージシャンという仕事を選ぼうが大差はないんです。どうせ1度の人生なんだから、やるんだったら好きな事を仕事にした方がいい…。

…なんせ30年以上前に読んだ本なので正確な文章ではありませんが、こんな事が書いてあったように記憶してます。

僕はミュージシャンにはなれなかったけど、いまだもって全く井上さんのおっしゃる通りだと思うんですよね!誰でも、一寸先の事は分からないはずですし、生きてりゃ~成功する時もあれば、失敗する時もある。安定を求めたとしても安定を手に入れれるとは限らない!…人生ってそんものなんでしょうねぇ~。

歪み

急激な変化

な~んでもそうですが、国政しかり、人間関係しかり、治療しかり…「急な変化は”歪み”が生まれやすくなる…。」…そんな気がします。

歪みって急に起こるモノではなく、ジワジワとやってくるので、歪んでること自体に気が付かない人の方が多いと思うんですよねぇ~。

歪みに気づく頃には、もう大変な事になっていて、大慌てで急激な変化をせざる終えない状況となり、力技で変化を起こすんだけど、急な変化は”歪み”を生むので、また新たな歪みが発生する。いわゆる、歪みの自転車操業?…負のスパイラル?…的な感じになってしまうんじゃないでしょうかねぇ~。政治の腐敗もそうだし、会社関係や人間のいざこざもそうだし、病気の発生起源もこんな感じゃなんだと思います。

こういう事って対処できる内に対処しておかないとね…。

僕の仕事に限らずですが…、医療全般に於いても言える事で「急激な変化は歪みが起きやすくなる」ので、できるだけ緩やかな感じで体を変化させて治療効果を上げていくのが望ましいんですが、患者さんの中には急激な変化を望む人も多いように思えるので、その辺のジレンマを感じる事が時々あるんですよねぇ~。

でも「急な変化は”歪み”が生まれやすくなる…。」っていう事は普遍的だと思うので、いつも頭の片隅にとどめておきたい言葉だと思います。