はりきゅうふくた 丁寧な治療を心がけてます(鍼灸院/福岡市早良区)

   お灸と鍼で病気を治す   

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鍼灸

『引く美学』 と 『足す美学』

よく日本料理は引き算の料理で、フレンチは足し算の料理だと言われてますよね!

日本は新鮮な素材が入手しやすいので、新鮮な素材の味を活かす為には、余分な味を加えること無く、引き算の美学で構成されているのが日本料理。

かたや、フランス料理は、土地柄、海産物など新鮮な食材を扱う事が出来ないので、足し算の美学で、ソースやフォンドボーなど、色々な味を作り出し、構成されているのがフランス料理。

…先日、年に1度くらいのペースでお邪魔している、お気に入りのレストランに行った時に、デザートを注文する際、珍しくシェフに「コロナで仕事に影響はありませんでしたか?」と話しかけられ、その流れで、シェフから色々な話しが聞けたんですよ!

・ルクセンブルクの日本大使館の料理長を辞めて日本に帰ってきた時の話し…。
・この場所でレストランをする事になった話し…。
・今回のコロナ騒動で外出制限で店を通常通りオープンすることが出来ず、鬱々としている中、今までは常に満席にする事が当たり前だった日常が崩れ、外出制限が解除されて以来、一人一人のお客さんに料理を提供する事の喜びを再認識出来たという話し…。 などなど…。

その話しの中で、足し算のフランス料理と、引き算の日本料理の話しが面白かったですねぇ~。

その日、食べた料理の中で、焼き茄子とアンチョビを合わせたものの上に、日本の薬味の生姜と茗荷と大葉を合わせたものをのせ、魚のイッサキを軽く燻製したものをのせて、数種類の野菜のジュレとクルトンをかけた前菜を食べたんですが、食べる度にいろんな味がして、確かに日本料理の素材が多く使われているんだけれども、味わいは日本料理じゃ無くてフランス料理なんですよねぇ~。

色々な味が楽しめる、フランス料理の妙…とでも言いますか、足し算ならではの巧みな味だったんですよねぇ~。

この話を聞いた時に、…ふと思ったんです!

鍼灸の世界でも『引く美学』と『足す美学』ってあるよなぁ~

鍼灸での引き算の美学は、出来るだけ少数穴で治療する。…刺激は少ない方がいい…。なんなら鍼を刺さずに治す方が素晴らしい!…極端に言えば一本の針で一つのツボを使い、もしくは鍉鍼だけで治す…、と言うような感じの鍼灸治療を良しとする鍼灸師。…こういうタイプの鍼灸師って、何となく学者タイプというか、理想を追い求めるタイプに多いような気がするんですよねぇ~。

鍼灸の足し算の美学は、複数のツボを使い、様々な鍼やお灸を使って効果を上げていく…と言うような感じの鍼灸治療。どちらかというと、こういうタイプは臨床家に多いような気がします。

足し算・引き算…どちらが優れているという話しではなく、どちらも極めれば素晴らしいと思うし、その治療家の成長過程で『引き算の美学』と『足し算の美学』がマイブームのように交互にやってきて、色々と学んでいく上で、足し算でも引き算でも無い、独自の治療法が生まれるんでしょうねぇ~。

美味しい料理を食べれるんだったら、足し算・引き算…など、どうでもいいやぁ!って思えちゃいますよねぇ~。なので、鍼灸治療も、治るんだったら、少数穴だろうが、鍉鍼だろうが、太い鍼だろうが、細い針だろうが、治療家として足し算・引き算に拘る必要はなく、その患者さんに合った治療を選択する。

…これでいいのだ!って思うんですよねぇ~。

鍼灸専門学校の学生さん

最近…、鍼灸の専門学校に通っている学生さんが患者さんとして、時々、治療を受けに来てくれるんです。
最初は「刺絡治療を受けたい…」という要望で来院され、僕も鍼灸学校の学生さんとは知らずに治療したんですが、あとで鍼灸専門学校の学生さんだという事を知ったんですよぉ~…、しかも…僕が通っていた学校に通っているとの事…。

「早く言ってよぉ~(^△^; 」(テレビCMの松重豊さん風に…(苦笑))「学生です…」って言ってくれたら、何故、このツボを選んでいるか…とか、色々と解説しながら治療してあげたのに… ( ̄▽ ̄;)

それ以来、時々、治療を受けに来てくれるので、治療中に治療に関しての質問に答えたり、学校の話しを聞いたりしながら、治療してるんですが、時々、学生の時って、僕もこんな感じだったよなぁ~って思う事があるんですよねぇ~。

何て言うんでしょうか…。学生時代は知りたい症候群とでも言うのか… (^-^;) 僕も鍼灸の学生時代は東洋医学的な思考で考える事を癖にするようにしていた節があるんですが、いざ鍼灸師になって、臨床で患者さんの病気や体調不良を治す場合、東洋医学的な思考だけでは患者さんに納得してもらえない事も多々あるんですよねぇ~。

今、僕が思う、治療する時のベストな思考の割合としては、東洋医学的な思考が50%、現代医学的な思考が30%、雑学的な思考が20%かな… ( ゚∀゚)(※歳を重ねれば思考の割合に変化があるやもしれません…(苦笑))

まぁ~学生さんは3年後の国家試験に合格する事を第一義として勉強しているわけなので、それに向けてのプレッシャーと、無事に国家試験に合格し鍼灸師になり、世間に放り出された時に、鍼灸師としてやっていけるのだろうか?というプレッシャーが混在するのが学生時代なんでしょう。

もう学校を卒業して17年経っているんですが、この学生さんを治療させてもらうたびに「あぁ~こういう時もあったなぁ~…大変だろうなぁ~」って思いながら、少しでも身体を楽な状態にして勉強に身が入るように治療してます。

「気」について…

気

また…こんな事を書くと「何も分かっていない奴が、いい加減な事を書くな!」…と、お叱りを受けるんだろうな…(苦笑)

でもね…以前から…というか、最近、ホント!「気」って便利な言葉だなって思うんですよねぇ~。

東洋医学や鍼灸の勉強をしていると「気」について書かれている文章を目にしますし、必ず周りの人の中で、私は気を感じる事が出来る…。もしくは気の流れを感じる…。はたまた気をコントロール出来る…。というような人が現れます。(苦笑)

「気」は丹田に集まり…云々、経絡を巡り…云々、血(ケツ)と水(スイ)を押しているのが「気」で…云々。というのは文章から得た学問として理解できますが、見たり感じたりする事が出来ないモノに関しては、正直言って、如何ともしがたい。

…何となく集団心理とでも言いますか、今まで「気」などというモノを考える事もなく生きてきた、ごく普通の人が、いきなり「この気を感じますか?」と問われると、気が弱い人なら、気は感じないんだけども、ここで「感じます…。」と言っておいた方が、この場の雰囲気を壊さずにすむのかな?…(;´゜,∀゜)…、などと気を使ったりするだろうし…(^-^;)  もしくは、あざとく、「この場で ”気” を感じると言っておいた方が周りの人より一歩抜きん出る感じで振る舞えるので、ここは気を感じているフリをしておこう…」などという輩がいないとも限りませんし…、目に見えないモノをど~こう言ってもねぇ~…っていうのが、この「気」という代物なんですよねぇ~。

僕自身は今の所、気は感じませんし、オーラも見えません。治療院に入ってきた患者さんを見て「あ~この人…元気がないなぁ~」とか「なにか…あったのかな?」「おっ!この人は元気そうだ!」程度に、察するというような…、その程度の能力しか持ち合わせておりません。

なので、僕の気の解釈は「気」はエネルギーなので誰の身体の中にも流れているモノであり、エネルギーはカロリーとか電力とか数値には表せるものだけれど(※気は今の所数値化できていません。あしからず… (´∀`;))元来、エネルギーは目に見えるものではないので、気を感じる事が出来なくても、オーラの色が見えなくても治療家として何も問題ない。…と思っています。

気を感じる事が出来なくても、僕ら鍼灸師は、知らず知らずのうちに鍼とお灸を使って気(エネルギー)を動かしているんでしょうし、筋肉を緩ませてコリを解しているんでしょう。

「人から気をもらう…」とか、「気を分け与える…」というような事を時々聞きますが、基本的に、どの人の身体の中にもエネルギー(気)はあり、若ければ活発にエネルギー(気)は生産され、歳を取れば気(エネルギー)の巡りは悪くなるものなので、人からもらったり、分け与えたりするようなモノじゃないと思うんですよねぇ~。

ただ…、楽しかったり、好きな人と一緒にいたり、美味しい物を食べたりすると、気(エネルギー)は生産され、活発に巡ると思うので、その瞬間は若かろうが、老人だろうが、元気になるんでしょう。

何となく…「気を感じる!」と言っておけば、優劣で言うと「あなたには感じないモノが私にはわかるのよ!」的な、少しばかり…優勢な立場でモノが言えるかも…。というような人に取っては「気」って、人を煙に巻く…(苦笑)便利な言葉だなって思うんですよねぇ~(^-^;)…すごく穿った見方ですけどね!(苦笑)

鍼灸治療と対話

鍼灸治療,対話

昨夜、Eテレを見ていたら『ハートネットTV』という番組で、~コロナの向こう側~ というのをやってたんですよ!精神科医の先生が色々と話されていたんですが、凄く共感できたのがソーシャルディスタンスとマスクの事…。

この先生、曰く、「ソーシャルディスタンスやマスクの着用は医学的配慮であったはずなのに、いつの間にかマスクを付けることや、人と距離を取る事が道徳的な規範となり「正義」にすり替わってしまい、社会がギスギスしてしまって、正義に従わないと、みんなで攻撃するようになる…」

そう言えば、一昨日だったかTVのワイドショーで大阪だったかな?バスの中でソーシャルディスタンスを守らないと小競り合いがあってましたし、数ヶ月前にはウチの近所の地下鉄七隈線でもマスクをしてない人を大声で責め立てるって事がありましたねぇ~。

埃っぽい所に入ったり、鼻炎をもっている人は、不意に咳き込んだりクシャミをすることがあるかとは思いますが、普通に黙っていれば飛沫は飛ぶことはありませんしね!マスクをしていないからって、大声で責め立てる必要はないはずなんですよね!

それと…

先生曰く…「引きこもり生活が長引くと、人の意識や考え方が狭くなり、幼稚化して考え方が0か100かという極端な発想(白黒思考)になる…」…らしいんですよ。

なるほどなぁ~…だからマスクをしていない人を見つけたり、ソーシャルディスタンスを守らない人を見つけたりすると、必要以上に攻撃するね!

あっ!あと…不要不急の重要性についても話されてました。

先生曰く「対話が必要…」とのこと。
会話は合意を目指し結論を出すことを目的とするものらしんですが、対話は議論や説得やアドバイスを抜きで言葉を交わす事なんだそうです。この話を聞いていて感じたんですが、これって鍼灸治療に来られる患者さんとの言葉のやり取りでも重要な事だと思うんです。説得やアドバイスは、どんなに正しい事を言ったとしても相手の主体性や自発性を抑圧してしまうらしいんですよね!

再三再四、このブログに書いてますが、僕ら鍼灸師は鍼とお灸を使って、身体に備わっている自己治癒力を手助けする事で病気を治しています。ここで重要なポイントは患者さん自身が病気を治す為に自発性…、及び主体性をもって生活習慣を変える必要があるって事なんですよね!

僕ら鍼灸師が治療中にどんなに良いアドバイスをして生活習慣を変えるように説得しても、結論を出す事を目的とする会話のみで終わってしまえば、患者さんの主体性や自発性を抑圧してしまうという事になる。

鍼灸治療の合間に必要なのは会話ではなく対話なんでしょうねぇ~。

この精神科医の先生が仰るには対話は出来るだけ中身がなく、くだらない…不要不急な、ノンキなお喋り…。なんだそうです。

なるほど!なるほど!…。やっぱ、ここ数ヶ月、日本中…いやいや、世界中で対話が不足してるんでしょうね。

病気には程度というものがある

病気,程度,風邪,癌

僕らは現代人ですから、普通の環境で育つと基本的に西洋医学・現代医学の考え方で育ちます。子供でも「心臓は血液を送り出すところ…」「胃は食べたモノを消化するところ…」という感じで解剖学的な事柄は色々な情報を得て知っていますし、その臓器の働きが悪くなると病気になると言う事も現代医学・西洋医学の基礎中の基礎として誰でも知っています。

でも、僕らに一つ欠けている事柄があるとしたら「病には程度というものがある」という考え方だと思うんですよね…。

「病気には程度というものがある」…と、頭では理解していても病名を聞くと、どうしても病気に関しての知識に引きずられるとでも言いますか…、病名を中心に物事を考えてしまいがちになり「病には程度というものがある」という事はどこえやら…。そういう考えは消えてしまうみたいです。

確かに現代医学は進歩しているので病気の判断基準がハッキリしているモノや、遺伝子解析で判断できるモノも増えてはいますが、判断基準が曖昧な病気も多いし、なかには診断はついて病名も判明するんですが、治療方法が無いというような病気も多いですよぉ~。

僕が鍼灸師になる前…、東洋医学とか鍼灸治療の事を勉強する前までは「今の現代医学は、随分進歩してるんだから、治せない病気なんて、もう少ないんだろなぁ~」なんて思ってましたが、この仕事をやり始めて今の医学の現状を知ると、治せない病気の方が多いんですよねぇ~。

まぁ~江戸時代や明治時代に比べると治せる病気は増えてますが、今でも治せない病気があるのは事実です。

チョット話が脱線しました…
「病気には程度というものがある」…ですが、

例えば癌という病気があります。癌という病名を聞くとラスボス(ゲームでいう最終的な局面で出てくる強いボスキャラ)が出てきたイメージが強いので、病気に関しての知識に引きずられ、病名を中心に物事を考えてしまうと思うんです。(※注意:僕は鍼灸治療で癌が治るとは思ってませんし、鍼灸治療で癌が治るという話ではありません。)

ただ、病気には程度というものがある訳ですから、癌にも軽いモノもあれば重い物もある…、弱いモノもあれば強いモノもある…。と考えます。時々本屋さんで「絶食したら癌が消えた…」とか「湯治に行ったら癌が治った…」といような本を見かけますが、癌専門のお医者さん曰く「あれは癌ではなく、癌もどきだ!治療しなくても治る良性の腫瘍を誤診しただけの話…」と言われたりもしますが、誤診された側にとっては迷惑な話だと思うんですよねぇ~。

「風邪」って、病名を聞いたら軽い病気のイメージを持ちがちですが、こじらせて肺炎でも併発したら命に関わる事になりますし、昔から風邪は万病の元と言われるように、風邪が元で色々な病気になりかねないモノでもあるので、風邪を軽く考えるのもどうかと…思うんです。

このブログで再三再四、言ってますが…
「病には程度がある…」

風邪にも重いモノもあれば軽いモノもあり、癌にも重いモノもあれば軽いモノもある。
共通して言える事は、軽いモノは比較的に身体の自己治癒力で治ると言う事なんですよねぇ~。

健康な人の身体でも癌細胞は1日に5000個くらい出来ているんですが、免疫細胞が癌細胞を攻撃してくれるので癌を発症せずに生活出来ているという事を考えれば、病気の知識や病名で物事を考える前に、病には程度があるものなんだから、もしも病気を患って病名を告げられても、この病気は、どの程度のものなのか?三段階に分けるとするならば、重いのか?軽いのか?中間くらいなのか?…という思考を巡らせた方がいいように思えるんですよねぇ!

これは患者さんへのアドバイスでもありますが、鍼灸師もこの考え方を持つべきだと思うんです。

僕の勝手な思い込みかも知れませんが、鍼灸治療の場合は…身体の治癒力を手助けする治療なので、病名は関係なく、病の程度で言うと「軽~中の中」くらいの病が守備範囲のような気がしますし、漢方薬は「~中の下」くらいが守備範囲のような気がします。重い病に関しては、やはり現代医学の方が優れているとは思いますが、優れているとは言っても、治せない病気も山のようにあるのが現実です。

そう考えると、やはり自分の身体に備わっている自己治癒力で治せる内に治しておいた方が得策だと思うんですよねぇ~。その自己治癒力を手助けする鍼灸治療は、やはり重要な役割を担っている治療法だと思うんです。

なんとなく3月のカレンダーを眺めていたら…

3月、ノスタルジー

今日の福岡はホンワカな暖かさです。
そういえば…昨日が彼岸の入りだったみたいですねぇ~
彼岸と言えば… おはぎ… 食べたいなぁ~ (^-^;)

今年は、うるう年だから20日が春分の日かぁ~。
福岡に引っ越してきたのが93年の3月20日だったから、もうすぐ福岡に住み始めて27年経つんですねぇ~。この27年間、色々あったけど27年前は鍼灸師になるなんて思ってもいなかったんですよ。

鍼灸師になって17年目ですが、福岡に来てなかったら鍼灸師になっていなかったかも知れないですし、もし…鍼灸師になる運命だったとして、日本の別の街に住み、どこかの鍼灸学校に通い、国家試験を受け、開業して鍼灸師になったとしても、今のスタイルの鍼灸治療じゃなかったかもしれないんですよね…。

一般の人からすれば、鍼灸治療って鍼を刺したりお灸をしたりするだけだから、どこの鍼灸院に行っても同じ事をするんでしょ!?って思うかも知れないけど、鍼灸治療にも色々なスタイルがあるんですよねぇ~。

僕が通った鍼灸専門学校が新設校で、僕らが一期生だった事もあり、ゼロからだけど何か技術を自分のものにしてやろうと意気込む同級生も多く、色んな人がいて刺激的だったし、その後、鍼灸師となって出会った多くの鍼灸の先生方の影響があってこその、今の僕の鍼灸治療のスタイルだと思うんですよねぇ~。

なんとなく3月のカレンダーを眺めていたら、少しノスタルジックな気分になりました。 (;^△^)

ある程度の環境を整える

自粛疲れ

2016年に玄関先に植えたイワダレソウ…。
芝生みたいにグランドカバーのようになってる予定でしたが、2年ほどは広がってグランドカバー状態になってたんですが、4年経つと元気に育ってる場所があれば、そうでもなくペンペン草の方が幅をきかせている場所もあり、なかなか思い通りに育ってくれないものだなぁ~…と思いながら雑草取りをしてましたら、ある事に気がつきました。

イワダレソウが元気に育っている場所は土がサラサラしていて水はけが良い土壌で、イワダレソウに元気が無くペンペン草が生え放題の場所はどちらかと言えば土が粘土質な感じなんです。

そうか…イワダレソウは水はけが良い場所が好きなんだね!

確かに、植えた当初は芝用の砂をホームセンターで買ってきては、小まめに手入れしていたけど、去年は暑くてな~んにもしてなかったからなぁ~。

やはり自然任せも良いんですが、ある程度は人間が手を加えてやって環境を整えてやらないとダメだと思ったんですよ!

人間の身体も同じで、自然に任せて老いていくのは生き物として当然の事なんですが、ある程度、環境を整える事で健康でいられる時間も増えるはずなんですよね!

…と言う事は…。日頃から運動して、疲れたり背中や肩や首が痛くなりそうになる前に、定期的に鍼灸治療で身体の環境を整えてやる事って、植物にとっての土壌作りや環境作りと同じだとおもうんですよねぇ~。

近頃はコロナウイルスの影響で、お年寄りも寄り合いの場所がなくなり、運動不足で体調を崩し気味になっているみたいです。もしかしたら、今後、「自粛症候群…」…というような病名が生まれてカルテに「自粛症候群」ってお医者さんが書くようになるのかも…なんて思っちゃいますが、こんな時だからこそ身体の手入れは怠らないようにしましょうね!

お腹を整える。

明智光秀,レビー小体

昔の東洋医学や鍼灸関係の本を読んでいると、必ず「肚を整える…」というような事が書いてあります。

腹?…肚?

簡単に言えば「腹」は常用漢字で「肚」は常用漢字では無い…。ただそれだけの違いなんですが、肚は心の中の事も含んでいて、「色々あるが肚に収めて水に流す…」というような時に「肚」という漢字を使いますし、胃腸の事も「肚」なんですよねぇ~。

先日、友人が「TVでやってたんだけど明智光秀って、レビー小体型の認知症だったっていう仮説があるらしいよ!」と教えてくれて、「へぇ~」って思った事がありました。友人が言うには、信長が家康を招いた時に接待役の光秀が出した、なれ寿司の臭いに、あれだけ気配りに秀でた光秀が気づいてなかったとしたら、レビー小体型認知症特有の臭覚障害があったのでは?という事と、戦勝祈願をした神社で、おみくじを何度も引いた逸話は、視覚の空間認知障害があったのでは?…とか、チマキを包んである笹を外さずに食べた記録に関しては、脳の処理能力の低下なのでは?という話でした。

それと、光秀は本能寺の変を起こす6年前に「風痢」という、今で言うウイルス性の腸炎のような病を患い生死をさまよった事があるらしく、専門医の話だと、レビー小体は腸で形成され、腸から神経を上がって行って脊髄に入って、中枢に至る可能性が高いらしいんですゎ!

色々な状況証拠から推察するに、光秀はレビー小体型の認知症だったのでは?という話なんです。

なるほどなぁ~…

一昨年に義父がレビー小体型の認知症で亡くなったので、アルツハイマー型とレビー小体型の認知症の違いは知ってましたし、確かに…、義父の視覚の空間認知障害や、幻視や、脳の処理能力の低下していた姿を思い出すと、光秀がレビー小体型の認知症という仮説も頷けます。

しかし…レビー小体が腸で形成されている可能性が高いって事は知りませんでしたねぇ~。

昔のお医者さんは、こんな事までは知る術も無かったでしょうに、「肚を整える…」という事を基本に治療していた歴史をみると「凄いなぁ~」って思っちゃいます。

心医

宮廷医官への道,,ホジュン,ユウィテ

まだ開業して1年目の頃…たぶん15年くらい前だと思いますが、同業の大渡先生が「この本、面白いですよ!」と韓国の東医宝鑑を書いたホジュンを題材にした小説を貸してくれたので読んだんですよぉ~。コレがまた…分厚い本で…1ページに小さい字で上段と下段に印刷されてる本でした。

最初は本の厚さと文字の小ささにビビっていたんですが、読んでいくうちにハマっていって、結構、楽しく読んだのを覚えています。

読んで数年してから『ホジュン~宮廷医官への道』というドラマがTV放送されて、それも見てたんです。今、またリメイクされて『ホジュン~伝説の心医~』というドラマが放送されてるみたいですね!…リメイク版は見てないけど、昔のは何回も見た覚えがあります。

実は、先日テレビのチャンネルを何気なくザッピングしていたら、昔のホジュンが放送されていて、僕が一番好きなシーンだったんですよねぇ~。

師匠のユ・ウィテが心医とはどういう医者かという事を息子に説明するシーン…

「神・声・工・巧 は経験をつめば誰でも到達できるが、それを順に成したとしても患者の痛みを共に感じる心がないなら、ありふれた医者だ…。医療は技術ではない。患者を思う心…、心医になれぬようなら医者とはいえない。」

というセリフ。

それと、弟子のホジュンにユ・ウィテが末期の胃ガンのの患者を託すシーンで…

世の中には医者が治せない病の方が多い。苦悩と挫折を経験すれば何か感じるだろう。医者は病に怖れを持ってもいけないが、安易にすべて治せると傲慢になってもダメだ…。

…と語るセリフ。

僕は医者ではなく鍼灸師ですが、このユ・ウィテのセリフは、病を治す者の心得…、とでもいいますか…。好きなんですよ…このセリフ。いつも心の片隅に留め置いている言葉なんです。

中庸

中庸,健康,鍼灸

どちらかというと、僕は患者さんと話しながら治療する方だと思うんですが、さすがに話したくないオーラを出してる患者さんに対しては、寡黙な鍼灸師を演じながら治療しております(苦笑)

先日、知り合いの鍼灸師の紹介で鍼灸師の先生が治療を受けに来られて…2回目の治療だったので、ある程度打ち解けて鍼灸の話や色々な事を話しながら治療をしていたんです。その中で『中庸』という話になり、結論として「中庸である為には色々な事を知っていないと、考えが偏りがちになるから、色々な事を知っておかなければいけない…」という事で意見が一致したんですよねぇ~。

中庸って「偏らない」っていう事で使われる事が多いんですが、時々、平均とか中間とか、真ん中という感じで捉えられて使われる事もあるみたいなんですけど、それはちょっと違うらしいんですよね…。

なので…何かを決める際に「偏りなく普通の感覚で物事を判断する。」…というのが中庸な考え方なんでしょうけど、この世の中、何か変化を起こさなければいけない時は中庸ではいられないのかも知れない…とも思うんです。

でも…急激な変化は必ず歪みを生みますから、本当は中庸な考えでマイナーチェンジを繰り返す方がいいんだけれど、もう崖っぷちで後が無い場合は急激な変化をせざるを得ない…。もしくは諦めなければいけない場合は中庸な考え方ではいられないと思うんです。

どちらかというと病院での投薬治療や手術は急激な変化を求める事に近いので、健康を維持するためには中庸な考えでマイナーチェンジを繰り返す方がいいから、出来るだけ鍼灸治療を日常生活に取り入れ、患者さん自身もセルフケアに努め、日々の疲れを解消していくのがベストだと思うんですよねぇ~。