福岡市早良区の鍼灸院 はりきゅうふくた|鍼灸で健康な状態へ戻していきます。

   お灸と鍼で病気を治す   

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鍼灸師

疑問に感じたら訂正する事で上達していく…

どんなものでも作り終わった瞬間は「これでよし!完成~~~!」って思うものですよねぇ~。
まぁ~時には…「あぁ~疲れた…もう、これでいいや…」って、試行錯誤の末に思考停止状態になり、創作意欲が無くなり「はいはい…これで完成!」っていう時もあったりしますが、とりあえずは現段階で考えられる事は全てやり尽くした状態で作業を終了すると思うんです。

でも、1年後とか…数年後に、その時の完成品を見ると「いやいやいや…これはチョット…」って思う事もよくある話しで…

僕は趣味でギターを弾いてるんですが、ここ数年、人前で弾く機会もめっきり減ったので、練習を兼ねて、時々Youtubeに映像をアップしてるんですけど、1年前くらいにアップした映像を久しぶりに見ると、まぁ~酷い!下手くそなギターなんですよ!…でも、その時は、とりあえずミス無く弾けた事の充実感と開放感で映像をアップしていたんでしょうが、1年経ってる間に練習して、その時より上手くこなして弾けるようになっているからか…「うわぁ~下手くそなギターやなぁ~!もう一回、撮りなおそう!」って撮りなおしたりしてね…。

まぁ~物事、時を重ねないと分からない事もありますし、その都度、疑問に感じた事を訂正していく事で上達していくのかな?って思うんです。

この1週間は、この振り返り現象とでもいいますか、過去に作ったものを、再び検証する対象物が はりきゅうふくた のホームページに向けられていて、ホームページの表紙を作り替えたのをきっかけに「あそこをこんな風に変えた方がいいな…、ここをこんな風に変えた方がいいな…」と、やたらと手直しを入れてますが、また数年後には「満足いかん!」と手を加えたくなるんでしょうねぇ~(苦笑)

最近、googleの検索に嫌われているのか?ウチのHPの閲覧件数も少ないんですが、まぁ~閲覧件数が少なくても、見てくれる人がいるって事はありがたい事ですし、表紙を変えたからって閲覧数が増えるとは思えないし、閲覧条件には何かしらかのカラクリがあるとは思うんですが、僕は鍼灸師でホームページ制作を生業にはしてないので、これ以上の詮索、検証は時間の無駄だと感じるので、放っておきますが、この”はりきゅうふくた”のホームページやブログは、僕自身が文章を作って構成する練習のつもりで書いてますので、気が向いたら見て下さいって感じです。

鍼灸専門学校の学生さん

※「☆=治」

最近…、鍼灸の専門学校に通っている学生さんが患者さんとして、時々、療を受けに来てくれるんです。
最初は「刺絡療を受けたい…」という要望で来院され、僕も鍼灸学校の学生さんとは知らずに療したんですが、あとで鍼灸専門学校の学生さんだという事を知ったんですよぉ~…、しかも…僕が通っていた学校に通っているとの事…。

※「☆=治」

「早く言ってよぉ~(^△^; 」(テレビCMの松重豊さん風に…(苦笑))「学生です…」って言ってくれたら、何故、このツボを選んでいるか…とか、色々と解説しながら療してあげたのに… ( ̄▽ ̄;)

※「☆=治」

それ以来、時々、療を受けに来てくれるので、療中に療に関しての質問に答えたり、学校の話しを聞いたりしながら、療してるんですが、時々、学生の時って、僕もこんな感じだったよなぁ~って思う事があるんですよねぇ~。

※「○=医」

何て言うんでしょうか…。学生時代は知りたい症候群とでも言うのか… (^-^;) 僕も鍼灸の学生時代は東洋学的な思考で考える事を癖にするようにしていた節があるんですが、いざ鍼灸師になって、臨床で患者さんの病気や体調不良を治す場合、東洋学的な思考だけでは患者さんに納得してもらえない事も多々あるんですよねぇ~。

※「☆=治」

※「○=医」

今、僕が思う、療する時のベストな思考の割合としては、東洋学的な思考が50%、現代学的な思考が30%、雑学的な思考が20%かな… ( ゚∀゚)(※歳を重ねれば思考の割合に変化があるやもしれません…(苦笑))

まぁ~学生さんは3年後の国家試験に合格する事を第一義として勉強しているわけなので、それに向けてのプレッシャーと、無事に国家試験に合格し鍼灸師になり、世間に放り出された時に、鍼灸師としてやっていけるのだろうか?というプレッシャーが混在するのが学生時代なんでしょう。

※「☆=治」

もう学校を卒業して17年経っているんですが、この学生さんを療させてもらうたびに「あぁ~こういう時もあったなぁ~…大変だろうなぁ~」って思いながら、少しでも身体を楽な状態にして勉強に身が入るように療してます。

「気」について…

気

また…こんな事を書くと「何も分かっていない奴が、いい加減な事を書くな!」…と、お叱りを受けるんだろうな…(苦笑)

でもね…以前から…というか、最近、ホント!「気」って便利な言葉だなって思うんですよねぇ~。

※「○=医」

東洋学や鍼灸の勉強をしていると「気」について書かれている文章を目にしますし、必ず周りの人の中で、私は気を感じる事が出来る…。もしくは気の流れを感じる…。はたまた気をコントロール出来る…。というような人が現れます。(苦笑)

「気」は丹田に集まり…云々、経絡を巡り…云々、血(ケツ)と水(スイ)を押しているのが「気」で…云々。というのは文章から得た学問として理解できますが、見たり感じたりする事が出来ないモノに関しては、正直言って、如何ともしがたい。

…何となく集団心理とでも言いますか、今まで「気」などというモノを考える事もなく生きてきた、ごく普通の人が、いきなり「この気を感じますか?」と問われると、気が弱い人なら、気は感じないんだけども、ここで「感じます…。」と言っておいた方が、この場の雰囲気を壊さずにすむのかな?…(;´゜,∀゜)…、などと気を使ったりするだろうし…(^-^;)  もしくは、あざとく、「この場で ”気” を感じると言っておいた方が周りの人より一歩抜きん出る感じで振る舞えるので、ここは気を感じているフリをしておこう…」などという輩がいないとも限りませんし…、目に見えないモノをど~こう言ってもねぇ~…っていうのが、この「気」という代物なんですよねぇ~。

※「☆=治」

僕自身は今の所、気は感じませんし、オーラも見えません。療院に入ってきた患者さんを見て「あ~この人…元気がないなぁ~」とか「なにか…あったのかな?」「おっ!この人は元気そうだ!」程度に、察するというような…、その程度の能力しか持ち合わせておりません。

※「☆=治」

なので、僕の気の解釈は「気」はエネルギーなので誰の身体の中にも流れているモノであり、エネルギーはカロリーとか電力とか数値には表せるものだけれど(※気は今の所数値化できていません。あしからず… (´∀`;))元来、エネルギーは目に見えるものではないので、気を感じる事が出来なくても、オーラの色が見えなくても療家として何も問題ない。…と思っています。

気を感じる事が出来なくても、僕ら鍼灸師は、知らず知らずのうちに鍼とお灸を使って気(エネルギー)を動かしているんでしょうし、筋肉を緩ませてコリを解しているんでしょう。

「人から気をもらう…」とか、「気を分け与える…」というような事を時々聞きますが、基本的に、どの人の身体の中にもエネルギー(気)はあり、若ければ活発にエネルギー(気)は生産され、歳を取れば気(エネルギー)の巡りは悪くなるものなので、人からもらったり、分け与えたりするようなモノじゃないと思うんですよねぇ~。

ただ…、楽しかったり、好きな人と一緒にいたり、美味しい物を食べたりすると、気(エネルギー)は生産され、活発に巡ると思うので、その瞬間は若かろうが、老人だろうが、元気になるんでしょう。

何となく…「気を感じる!」と言っておけば、優劣で言うと「あなたには感じないモノが私にはわかるのよ!」的な、少しばかり…優勢な立場でモノが言えるかも…。というような人に取っては「気」って、人を煙に巻く…(苦笑)便利な言葉だなって思うんですよねぇ~(^-^;)…すごく穿った見方ですけどね!(苦笑)

鍼灸☆療と対話…※「☆=治」

鍼灸,対話

昨夜、Eテレを見ていたら『ハートネットTV』という番組で、~コロナの向こう側~ というのをやってたんですよ!精神科医の先生が色々と話されていたんですが、凄く共感できたのがソーシャルディスタンスとマスクの事…。

※「○=医」

この先生、曰く、「ソーシャルディスタンスやマスクの着用は学的配慮であったはずなのに、いつの間にかマスクを付けることや、人と距離を取る事が道徳的な規範となり「正義」にすり替わってしまい、社会がギスギスしてしまって、正義に従わないと、みんなで攻撃するようになる…」

そう言えば、一昨日だったかTVのワイドショーで大阪だったかな?バスの中でソーシャルディスタンスを守らないと小競り合いがあってましたし、数ヶ月前にはウチの近所の地下鉄七隈線でもマスクをしてない人を大声で責め立てるって事がありましたねぇ~。

埃っぽい所に入ったり、鼻炎をもっている人は、不意に咳き込んだりクシャミをすることがあるかとは思いますが、普通に黙っていれば飛沫は飛ぶことはありませんしね!マスクをしていないからって、大声で責め立てる必要はないはずなんですよね!

それと…

先生曰く…「引きこもり生活が長引くと、人の意識や考え方が狭くなり、幼稚化して考え方が0か100かという極端な発想(白黒思考)になる…」…らしいんですよ。

なるほどなぁ~…だからマスクをしていない人を見つけたり、ソーシャルディスタンスを守らない人を見つけたりすると、必要以上に攻撃するね!

あっ!あと…不要不急の重要性についても話されてました。

※「☆=治」

先生曰く「対話が必要…」とのこと。
会話は合意を目指し結論を出すことを目的とするものらしんですが、対話は議論や説得やアドバイスを抜きで言葉を交わす事なんだそうです。この話を聞いていて感じたんですが、これって鍼灸療に来られる患者さんとの言葉のやり取りでも重要な事だと思うんです。説得やアドバイスは、どんなに正しい事を言ったとしても相手の主体性や自発性を抑圧してしまうらしいんですよね!

再三再四、このブログに書いてますが、僕ら鍼灸師は鍼とお灸を使って、身体に備わっている自己治癒力を手助けする事で病気を治しています。ここで重要なポイントは患者さん自身が病気を治す為に自発性…、及び主体性をもって生活習慣を変える必要があるって事なんですよね!

※「☆=治」

僕ら鍼灸師が療中にどんなに良いアドバイスをして生活習慣を変えるように説得しても、結論を出す事を目的とする会話のみで終わってしまえば、患者さんの主体性や自発性を抑圧してしまうという事になる。

※「☆=治」

鍼灸療の合間に必要なのは会話ではなく対話なんでしょうねぇ~。

この精神科医の先生が仰るには対話は出来るだけ中身がなく、くだらない…不要不急な、ノンキなお喋り…。なんだそうです。

なるほど!なるほど!…。やっぱ、ここ数ヶ月、日本中…いやいや、世界中で対話が不足してるんでしょうね。

なんとなく3月のカレンダーを眺めていたら…

3月、ノスタルジー

今日の福岡はホンワカな暖かさです。
そういえば…昨日が彼岸の入りだったみたいですねぇ~
彼岸と言えば… おはぎ… 食べたいなぁ~ (^-^;)

今年は、うるう年だから20日が春分の日かぁ~。
福岡に引っ越してきたのが93年の3月20日だったから、もうすぐ福岡に住み始めて27年経つんですねぇ~。この27年間、色々あったけど27年前は鍼灸師になるなんて思ってもいなかったんですよ。

※「☆=治」

鍼灸師になって17年目ですが、福岡に来てなかったら鍼灸師になっていなかったかも知れないですし、もし…鍼灸師になる運命だったとして、日本の別の街に住み、どこかの鍼灸学校に通い、国家試験を受け、開業して鍼灸師になったとしても、今のスタイルの鍼灸療じゃなかったかもしれないんですよね…。

※「☆=治」

一般の人からすれば、鍼灸療って鍼を刺したりお灸をしたりするだけだから、どこの鍼灸院に行っても同じ事をするんでしょ!?って思うかも知れないけど、鍼灸療にも色々なスタイルがあるんですよねぇ~。

僕が通った鍼灸専門学校が新設校で、僕らが一期生だった事もあり、ゼロからだけど何か技術を自分のものにしてやろうと意気込む同級生も多く、色んな人がいて刺激的だったし、その後、鍼灸師となって出会った多くの鍼灸の先生方の影響があってこその、今の僕の鍼灸療のスタイルだと思うんですよねぇ~。

※「☆=治」

なんとなく3月のカレンダーを眺めていたら、少しノスタルジックな気分になりました。 (;^△^)

本気で治そうとすると恨みをかう…事もある。

「治れば感謝され、治せなければ恨まれるのなら分かるけど…何で?」って疑問に思う人も多いと思いますが、時々ですけど臨床をやっていると「これ以上、足を踏み入れると恨まれるかもしれんな…」…というシチュエーションに出くわす事もあるんですよねぇ~。

※「☆=治」

鍼や灸をすることで治る症状なら、恨みをかうことは無いと思いますが、体調不良の中には「こりゃぁ~根本的な生活パターンとか思考を変えないとダメだな…」と感じる体調不良もあるんですよねぇ~。こういった場合は患者さんのパーソナルな部分まで足を踏み入れる事になりますから、いくら療とは言え、人によっては他人に立ち入って欲しくないっていう人もいるわけです。

まぁ…ズカズカとパーソナルな部分に土足で入って来られると、誰でも嫌な気分にはなりますが、気を使いながらパーソナルな部分に入られても、あまり良い気分にはならないと思うんですよぉ~。

※「☆=治」

あぁ~…そう言えば、貴乃花が現役の時に鍼灸師に洗脳されて云々…ってワイドショーで話題になってたけど、現役を引退した後の貴乃花の言動やらトラブルをみると、その貴乃花を療していた鍼灸師も「こりゃぁ~鍼や灸だけじゃ治らんな…」と思って、貴乃花のパーソナルな部分に立ち入ったのかもしれませんねぇ~。(まぁ~僕の勝手な想像ですけどね…)

規模は違いますが、先日、亡くなったペシャワールの中村医師も、医者として患者に薬を出し、注射をしていれば、医者としての本分は全うしている事になるわけですが、アフガニスタンの患者さんを治すには薬や注射じゃ無理だと思ったんじゃないでしょうかねぇ~。川を作り土を耕し、この国の人の意識を変えないと、どんどん患者は増えていく。…と、本気で思って治そうとしたから、恨みをかい、こういう結果になってしまったようにも思えるんですよ。

人として…恨みをかう事が良いことなのか?悪い事なのか?
道徳の授業のお題のようでもあるし…禅問答のようでもある。…すぐに答えは出せないんですが、人を傷つけること無く解決するのが一番、ベストな方法なんだけれども…、恨みをかうと暴力的な事になりがちなのも世の常なんだよなぁ~

難しいゎ… ( ̄へ ̄|||)

少ない武器でどう戦うか…

東洋,西洋

※「☆=治」

「鍼灸師って鍼とお灸だけで療するんでしょ?」って質問されたりする事があります。

※「◎=診」

たしかに僕らはお医者さんのように薬を使う事も出来ませんし、手術や血液検査や画像断はできません。
僕の場合、按摩マッサージ師の資格は持っていないのでマッサージもできません。按摩マッサージ師の免許を持ち合わせている鍼灸師さんはマッサージも出来るんですが、僕が通った鍼灸学校では按摩マッサージ師の免許を取る為のシステムがなかったから免許を取ることが出来なかったんですねぇ~。(なんかスネークマンショーで「あれも出来ない…これも出来ない…でもこれだけは自信をもってお見せできます…御覧下さい…」っていうコントあったなぁ~(笑))

※「☆=治」

僕らの武器は鍼とお灸だけ…。あとは「見極める力」も療に使える武器…ですね!見極めるって結構、療に於いては重要なファクターだと思います。なので、鍼灸で無理だなと思われる場合は出来るだけ早く専門医に行くように勧めます。…けど、鍼と灸ってけっこう守備範囲が広いというか、色々な症状に対応出来るんですよねぇ~。ここで大風呂敷を広げて営業トークするつもりはありませんけど、鍼灸ってホントに色々な症状に対応出来ます。なんとなく一般的にはマルチに検査も出来て何でも出来る方が優れていると思われがちですが、漢方薬でも生薬の種類が少ない方が良く効くと言いますし、症状によってはマルチな検査が必要ない場合もあるんですよね。

※「○=医」

よく西洋学を”木”、東洋学を”森“に例えて「木や葉っぱばかり見ていると森の機能的な異変には気が付きづらくなるし、森ばかり見ていると木の細かな異変には気が付かない」…ってな感じで双方の利点・欠点を説明されます。

西洋・東洋…双方のいいとこ取りをするのが一番良い考え方だと思うんですが、まずは“病気”という大事にならぬように患者さん自身が普段の食生活や生活パターンを見直しながら、体の微調整として「鍼」と「お灸」と「見極める力」…で体に備わっている免疫力を高めて病気を予防し、病気になったとしても初期段階で治す事が出来る程度の症状であれば鍼灸療で対処する。検査や薬が必要になるほど症状が悪くなった場合は薬物を使う。コレが一番筋道が通った療のあり方だと思うんですよねぇ~。

※「○=医」

 

花に嵐のたとえもあるさ…

高山弘美先生

18年前、鍼灸の専門学校に入る時に面接があり、その時の面接官が高山先生でした。
「あなたは何歳なの?…34歳ですかぁ~…彼女はいるの?…結婚はしないの?」と鹿児島弁で笑みを浮かべながら話されるトーンに緊張していた心も和み、面接というより雑談した感じだったのを思い出します。

授業では主に実技を教えていただいたんですが、一年生の時の一番最初の授業だったかな?60人全員に「お灸ってこんな感じだよ~!」と直接灸を曲池穴にしてくれて「これくらいのスピードで出来なきゃ駄目だよ!」って言われてたっけな…。

卒業してからも友人数人で鹿児島の高山先生に会いに行こうと車で行った事があるんですが、手ぐすね引いて待っていた高山先生は分刻みのスケジュールで鹿児島を案内してくれたっけ…。

5~6年前に一度、同級生で集まれる人達だけで飲み会があった時に、ちょうど福岡に来られていた高山先生も参加されて、お酒が飲めないにも関わらずニコニコしながら、専門学校1年生の時、高山先生の授業で書かされた「どんな鍼灸師になりたいか」というタイトルの作文をみんなに配って「当時の想いに近づけてますか?」って…。ちょっとしたタイムカプセルでしたねぇ~。

そのあと1度、同じような飲み会でお会いして話をしたのが最後だったなぁ…。

先週、高山先生が亡くなったという訃報が届き、なんとも言えない感じですが、僕は思い出す事が供養だと思ってますので、また同級生で集まった時に高山先生の話で「あんな事もあった!こんな事もあった!」と盛り上がりたいと思います。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ,鍼灸

※「○=医」

ビスマルクって言う名前を聞くと、どうしても最初に、当時Jリーグのヴェルディやアントラーズにいたサッカー選手のビスマルクを思い浮かべてしまうんですが…(笑)

この言葉を残したのはドイツのビスマルクさん…。

「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。」

もちろんどの業界…どの世界でも、この言葉は通用すると思います。僕ら鍼灸の業界の構造を振り返ると、鍼灸師になるには3年間、学校に通い鍼灸の事や解剖学、生理学などを勉強して国家試験に合格すると、晴れて世間様に「鍼灸師でござい!」と看板をあげるお許しが御上から頂けるわけですが、裏を返せば学生の頃に得た知識のみでも「鍼灸師でござい!」と言い続けられるんですねぇ~。

国家試験に合格すれば、それ以降、勉強しなくても経験は積めるワケなんですよ!医師の場合…学部は6年間でしたっけ?たしかその後、インターンの制度がありましたよね…、今更言う事ではないんですが鍼灸師と医師では学ぶ時間と学ぶ質量が違うんですよね…

まぁ~どの世界でも経験を積む…という事は重要ですし、「守(修)・破・離」という事も学ぶ過程では起こってきます。

僕ら鍼灸師が古典を学ぶ必要性があるのは、この「賢者は歴史に学ぶ」…ここなんですね。

よく、先人・先輩方から「一生勉強だよ!」と言われますが、こういう事なんですよね。経験を軽視しろという事ではなく、常に50%は経験から…残りの50%は歴史からの知識を踏まえて判断できるスタンスでいることが重要だと思うんですよね。

また偉そうな事を宣ってしまいました(笑)

深く刺す…浅く刺す…

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鍼を深く刺す…浅く刺す… 。ある先生は深く刺したらイカン!と力説し…またある先生は鍼には色々な形状があるんだから、その用途に応じた深さに刺せる技術がないとイカン!と言われる。

名人芸のような技術が存在するのは確かなんですが、いきなり誰しもすぐに名人になれるわけもなく…鍼灸の学生さんなんかが、ある先生からは浅く刺す事を強要され、又ある先生からは深く刺す事を強要されたりすれば「どっちがホントなんだぁ????」って迷ってしまうのは目に見えて明らかですよね! まぁ~学生さんじゃ無くても迷っちゃうか…。

僕が  “深く刺す…浅く刺す問題”  説明するとしたら…魚釣りに例えると分かりやすいかと思うんですよね! 海面を泳いでいる魚を狙って釣りをする場合は、その魚用の仕掛や餌を用意して釣りをしますし、海の底を泳いでる 魚を狙う時は、やはり海の底に仕掛がとどくような準備をして釣りをする。 まぁ~深く刺す…浅く刺すっていう事は、釣りと一緒なんですよねぇ~。

でもって…どういうモノが名人芸かというと…普通ではあり得ない(誰でも出来ちゃうと名人芸ではなくなるので…(笑)) 事を起こしてしまう…。魚釣りに例えると…海面を泳いでる魚を釣る仕掛(浅い鍼)で海面を泳いでる 魚を釣って…そのまま引き上げずに海を漂わせていると海面を泳いでる魚を餌にしているチョット大きい 魚が食いついて…、またそのまま引き上げずに海を漂わせていると、またその中ぐらいの魚を餌にしている 大きな魚が食いついて…と、わらしべ長者の如く…最後は海の底の大きな魚(深い鍼)を釣り上げてしまう。 海面を泳ぐ魚と、海の底を泳ぐ魚では竿の太さ長さも…テグスや釣針の強度も違うので、あり得ない と言えば、あり得ない話なんですが…あり得ない事をするのが名人芸なのだから…(笑)

まぁ~必要に応じて必要な深さの魚が釣れるようになる…いやいや、必要な部分の凝りや痛みが 取れる技術を身につける方がいいと思いますねぇ~。そんでもって名人芸は追々、個人で磨き上げればいいと思います。

そろそろ卒業の季節だし…鍼灸学校を卒業した学生さんに向けて、何かアドバイスしてあげるとしたら 今の僕には、これぐらいの事しか言えないかなぁ~。まぁ~これってある先生からの受け売りなんですけどね!(笑)